逸話
以前、本殿の右側のガラス戸をはめた小祠があり三番叟人形が祀られていた。
手をふれると災があると云われ、宮人が我が家に保管していたが災が続くのでお宮に上げたもので頭十三センチ、烏帽子は蚕の種紙が張ってあり、明治の作であるがその様式は十八世紀の三番叟である。
また別の伝説もある。それは明治末年、津久井地方では義太夫を語り合わせて人形を操ることが流行したことがあった。漸々に人形を使っているうちに、顔の塗りがはげたり色あせてきた。ある時、中野で人形の塗り替えをしようとして刷毛が人形の顔に触れたとたんに、人形が突然に口をきいて、「おお冷たい」と言葉を出した。それに驚いて人形の手入れをやめて、その人形を中野神社に納めた。と伝えられている。